じょいとも個展

「大蟹伝説」

断片3 - 歴史と伝説の狭間・源平合戦 -


池田九華作「倶利伽羅合戦」(津幡町倶利伽羅神社蔵)


ヨーロッパにおいてはコンスタンティヌス大帝によるビザンチン遷都が中世の始まりと云われ、それ以前の時代は古代と呼ばれてきた。

アーサー王伝説も5世紀頃のイングランドを舞台とするが、ヨーロッパ各地に存在する英雄伝説、聖人たちが起こした「奇跡」も多くが古代のものである。


古代とは、歴史と伝説とが一体となって語られる時代であった。


そして、日本における古代と中世の分かれ目は、源平合戦にある。

源頼光とその四天王が酒呑童子ら鬼たちを討伐し、俵藤太が大百足を退治する。

菅原道真や崇徳天皇は怨霊に姿を変え、魑魅魍魎が京の街に跋扈する。

そして大王の世襲による統治が神代より続き、同じく神代より続く神官や貴族たちが国家の実権を握る。

それが日本における古代であった。


保元の乱と平治の乱により天皇家と武家の力関係が逆転し、それに続く源平合戦により、武家による国家支配の最初である鎌倉幕府が生まれた。

そして義経ら、平家物語に代表される鎌倉以後の文芸の英雄たちは、古代の妖怪討伐の英雄たちとは離れた、歴史の中の英雄であった。


この、古代と中世の狭間、そして伝説と歴史の狭間にある源平合戦。


僕は故郷の伝説を調べていくなかで、思いがけず、そのルーツが源平合戦にあるという結論に至った。


そしてその実体は、戰が人を運び、人が土地を開き、土地にまた人が集まり、栄え、歴史となり、文化となり、生み、想像し、そして忘れられ、伝説が残る。

長い時間の中で育まれてきた人の営みの連鎖の記録であった。


その詳細は本展の中で述べたいと思うが、もしかすると本当は、僕らを取り巻くたくさんの文化、伝統、物語の忘れられたルーツを、この伝説と歴史の狭間にある戦いの中に見いだすことができるのかもしれない。



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